のの乃の経歴

こんにちは。のの乃です。

ここではわたしの現在に至るまでの経歴などを書いてみたいと思います。

のの乃の基本情報

平成元年8月6日生まれのアラサー。でもわたしは実は21歳なので大丈夫です(?)

島根県生まれで、途中神戸やら福岡やら東京やらに住んでおりましたが、現在は島根県在住。

趣味は絵を描くこと、カラオケに行くこと、ハンドメイド、DIYなどのものづくり、漫画やアニメを見ること、テニスの王子様のミュージカルをはじめとした2.5次元舞台を見ること。

最近着物を私服として着ることに目覚めて普段着着物活動をしたりしています。

漫画家志望でしたが途中で挫折し、ハンドメイドとブログとイラストで生計を立てるべくふわふわと生きております。

漫画家を目指しはじめた小学校時代

幼き頃よりお絵かきや人形遊びやおままごとなどの空想ひとり遊びが好きだったわたし。すでにオタクの片鱗が伺える。

他人に気持ちがあるとか考えたこともない、自分が世界のすべて!というワガママ人格崩壊娘だったので、人と仲良く遊ぶの苦手だったんですよね…!

小学校入学からの3年間は、学年15人くらいしかいない小さな学校だったのもあり、同級生の女の子に仲間はずれにされたり悪口言われたりちょっとしたいじめっぽいものも受けたりしてました。(なんせわたし、人格崩壊してたから…)

でもわたしはやっぱり人格崩壊娘だったので、自分が嫌われているという事実もよくわかっておらず、彼女たちを嫌いになるわけでもなく「ナンデ!?遊んでよォ!!」とグイグイ迫っていて…なにこいつヤバイ…。(戦慄)

同い年の女の子にはわりかし嫌われていたので、同級生の男の子や上級生、下級生とばかり遊んでいました。

ひとりで遊ぶのも板についてきた小学生の頃、親の都合で学校を転校することになり、転校先でまんがクラブなるクラブに出会いました。

まんが、というものをそこではじめてちゃんと認識し、「この世に絵を描いて過ごせる仕事があるのか!!」と衝撃を受けたのを覚えています。

それまでもお絵かきはしてましたが、そこから将来の夢が「漫画家」に。休み時間、放課後、家に帰ってから、更には授業中まで(勉強をしろ)とにかく絵、漫画を描いて過ごすようになりました。

同時にオタクへの道を突っ走りはじめました。その頃ですね…犬夜叉にどハマリして…弥勒様というわたしのオタク人生の始まり、次元の違う初恋、永遠の推し、わたしを構成する血肉の一部、殿堂入り…そんな存在に出会ったのは…!

今でも弥勒様はわたしの好きなキャラ不動の第一位です。第一位というかもうそこにいることが基本っていうか、わざわざ名前を上げるほどではないっていう…まさに殿堂入りですね…

漫画に付随してお話を自分で作る、ということが楽しくて、自分で書いた台本をもとに友達同士で毎日劇の練習をし、ついには昼休みにクラスで自主制作の劇を発表するなどという謎の脚本・監督業をやったりもしました。

ノリとはいえ何をしているんだわたしは…

部活動が楽しい中学校時代

中学校時代は小学校の延長でたいした変化もなく生活しますが、一番は部活動があったことですかね。

田舎なもので文化系の部活は美術部・文芸部・吹奏楽部しかなかった…と思います。確か。

漫画で物語を考えるのも楽しい!と思っていたわたしは、文芸部も楽しいんじゃないかと美術部と兼部で入っていました。というか美術部と文芸部の大体の人員が一緒でした。なにかを表現することが好きな人は、他の表現方法も好きな可能性高い。

これまた不思議なことに当時の先輩たち、めちゃめちゃレベル高かったんですよね。絵もプロか!?ってくらい本当に上手な人が集まっていたし、文章も面白い人が多くて、今見ても遜色ないくらい本当にレベル高かったです。しかも本人たちも面白いもんだから部活行くの楽しくて仕方なかった。

あと創作活動系で言うと、老人ホームに訪問する授業があり、そのためにグループに分かれて出し物をする、みたいな時間があったのですが、小学生で脚本・監督業をこなしていたわたしは今度は自主制作ドラマを友達同士で撮りました。

しかし選んだ題材がよりにもよってホラーで、老人ホームの方々に自主制作ホラードラマを見させるという恐ろしいことをしてしまいました…わたしは彼女たちをころす気なのか…?

あっ、中学生の頃にやっと「他人にも心がある」という事と、「他人にどう思われるかの意味」に気づきました。遅いですね!でもそれまでも国語で作者の気持ちを考えるのはめちゃめちゃ得意だったの、意味不明では?

インターネット、という概念に出会う高校時代

わたしが携帯を持たせてもらえたのは高校生になってから、それまで家にもネットに繋がってないXPのパソコンしかなく、「インターネット」といえば学校の授業で触れる程度。

そんな折、高校に入ってできた友達がインターネット&オタクの先駆者で、メル友、メルマガ、夢小説、二次創作のホームページなどという古のオタク活動ツールを叩き込まれ、物の見事にその世界に引きずり込まれました。

自分のオリジナル創作漫画をノートに描いていたわたしは、自分のイラストを載せるホームページを作ろう!と思い立ち、さっそく作成。

オリジナル漫画を学校で友人たちに貸し出ししては回し読みしてもらっていたおかげで、その友人たちがしょっちゅうサイトを訪れてくれかなり楽しく創作活動をしたことを覚えています。

そして覚えているついでに、何回かサイト移転したうちの、おそらく二番目と思われる古のサイトを発掘できてしまったので掲載します(笑)

密告人形-Grass Doll- 携帯ホームページ フォレスト

文面やサイト名、ハンドルネームからご察しかと思いますが相当な厨二病を患っており、16歳のわたし、日記でポエム読み出すわ寝てない自慢するわ宿題してないアピールするわで、この世にあるネット上の黒歴史をごった煮したような存在すぎて笑いが止まらない。

おそらく常人だったら過去の日記やイラストを不特定多数に見られるのは耐え切れないかと思いますが、今のわたしは無敵です。

リアルな厨二病が見れるから貴重な資料として後世に残してくれよな!!

サイト作りをしていた、ということで、ここでHTMLをはじめて触るんですね。

この頃は基本HTMLだけですべてのデザインを作っており、コピペを駆使して定期的にサイトのトップのデザインを変えたりして楽しんでました。

また、カスタマイズ用の素材を扱うサイトも多く存在しており、リンクを貼って素材を拝借したり…とここで思い出しましたがわたしも素材サイトやってた気がする!

欲しい素材がないので、自分でドット絵作れるサイト?とか文字入れできるサイトとかでぽちぽちメニューアイコンやらトップ画像やら作ってた~。なつかしい。

サイトなどの運営は一番多い時は素材サイト、イラストサイト、二次創作小説サイトにメルマガ発行までしてた。さらには別でブログをやってほぼほぼ毎日更新。mixi、モバゲーもこのあたりから流行りだしてそれの日記とかも書いてたので、手広いし今よりめちゃめちゃモチベーションあって怖…自分で自分、怖…

この古のイラストサイトの日記にあったのですが、「わたしは好きなことだけやって生きてくんだーー!!!」と吠えていました。考え方の根本、今となにも変わらなさすぎてビビる。

あとはニコニコ動画のことを知ったのもこの頃。

当時ガラケーでニコニコを見るときは、AUの人は2だか8だかのボタンを連打していないと動画が再生できないという謎仕様だったため、ひたすらにボタンを連打しひぐらしのなく頃にとか組曲とか見てました。マジでなんなのこの謎仕様?

涼宮ハルヒの憂鬱に出会い、ハルヒにバチバチに憧れたのも高校生の時でした。

毎日のようにSOS団作りたい!!!!!と喚き散らし隙あらばハレ晴レユカイを友人たちの前で踊って見せここでも黒歴史を製造してしまいました。今でも久しぶりに会った人に「なんかハルヒの踊り踊ってたよね~」とか言われる。穴があったら入りたい。

漫画の専門学校へ行くも、ネトゲ、ニコニコにハマり日常生活に支障が出る

漫画家になりたいという夢はまだ持っていたので、高校卒業後は神戸のアート系の専門学校へ行くことにしました。

そこには漫画学科なる科がありまして、二年間漫画やイラストについて学び、出版社への持ち込みなども経験しました。

学年50人いましたが、そのうち担当がついたり賞をもらったりしていたのは2,3人だったという部分で厳しさは大分伝わるかと思うんですけど、もうわたしなんて箸にも棒にも掛からないです。

なんせわたしは漫画が好きだから描いていただけで、プロになるための練習も勉強も何一つやらずにここまで来てしまっていたので…。プロになるための描き方、考え方がある、ということに気付けなかったのが痛いですが、そりゃあ「プロになる」ことを目標にプロになるための絵の描き方をしていた人には勝てるわけがないんですよね~。

コレは卒業して何年も経ってからやっとわたしが気づいた結論なので、あの頃それに無意識でも気づいてそういう方法を取っていた人は本当に賢いし、そういうのが才能、センスがあるって事なんだなって思います。その頃担当ついてた友人は今ちゃんと漫画一本で稼いでおりますよ。

学校のほうはそんな感じだったんですが、専門学生になり自由な時間と共にノートパソコンを手に入れたわたし。

当時よくCMをやってたマビノギというゲームにハマりまくって毎日のようにネトゲの世界へ…

さらには高校時代から見ていたニコニコ動画、ニコ生という生放送ができる機能が実装され世はまさに生放送全盛期時代。

ニコニコ動画にずっと憧れていたわたしは、やっと手に入れたノートパソコンで歌を録音して投稿してみたり、友達の歌ってみたにイラストを描いてあげたり、はたまた音楽編集ソフトを買って歌のMIXをしたり、動画編集ソフトでPVを作ったり、ネットで知り合った人のニコ生に出させてらったり、コラボをしたりとネット上での活動をフルに楽しんでおりました。

スカイプという通話ソフトも全盛期で、ネット上で知り合った人と一晩中喋り倒したり、知らない会議にネット友達経由でつっこまれて新しく交友関係が広がったりとなんだか青春だったなあ。オフ会をはじめてしたのもその頃。

その時に知り合った友達は10年ほどたった今でも時々連絡をとったり遊んだりします。

こういう経験から「インターネット、楽しいじゃん!!」と今に至るまでネット上にしつこく生息するようになってしまいました。

夢に挫折しフリーターに。極貧生活を経て各地を転々とする

特に就職先もないまま、漫画学科の生徒たちはほぼほぼフリーターとして世に放たれました。

漫画家になる!という大義名分を掲げてフリーターになったものの、時間の切り売りでお金を稼いで漫画なんか描く暇があるわけないですよね~。正社員になったら漫画が描けなくなる!と思い込んでましたが、今となってはむしろ正社員の方が描ける気がしてます。

卒業後の一年は学生時代からやってたパン屋さんのバイトに、コーヒーショップやアパレルのバイトなどを掛け持ちして暮らしていましたが、月の給料は微々たるもの。

月の収入は8万円、良くて10万ちょっと、みたいな生活をしてました。

携帯・保険代は親持ちでしたが、家賃4万、光熱費、食費などはこの8万から出してましたのでかなりの節約生活でしたね…極貧と言いましたが、ごはんは大体働いてるパン屋のパン食べてたし、お腹すいたよお~みたいなひもじさはあんまりなかったです。

こんな生活なのに1万円のワンピースとか買っちゃってネットの友達に「バカ???」って怒られたりはしました(バカ)

この節約生活の中で「漫画、かかなきゃ」という焦燥感に見舞われたりしていたのですが、ネットに熱を上げていたのもあり、いつしか描きたい!漫画家になる!という情熱がなくなってしまいました。

専門時代に圧倒的に上手い人に囲まれ、持ち込みで編集の方にボロクソに言われ、そうやって積み上がった「わたしには無理なんじゃないか」という気持ちでモチベーションが下がり、情熱がなくなったこのこの時が、きっとわたしが挫折した瞬間だったのでしょう。

挫折とは怖いもので、あんなになりたくなかった「OL」や「会社員」でも、まあ時々ちょっとケーキ食べれるくらいの贅沢があれば、好きなことじゃなくても、苦じゃない仕事ならいいんじゃないかな、みたいに思えてしまいます。

適当なバイトで生活費を稼いで、のらりくらり生きていこ~と新しい目標設定(?)をしました。

そしてなぜかこの頃から異様にフットワークが軽くなり、神戸から島根に戻って1年後、突然福岡に引越しました。

理由はネットで知り合った遠距離恋愛の彼氏がいたからという若気の至りMAXな内容なんですけど、そのほかのネットの友人も複数いたこともあって怒涛の勢いで4ヶ月で30万貯め、すぐに引越し。

結局2年目に福岡市内で引越しし直して4年間住みました。あ、彼氏は引っ越して半年で別れました。ウケるね!

ちなみにテニスの王子様というコンテンツ、ずっと避けて通ってきていたのに、福岡二年目という謎のタイミングでテニスの王子様のミュージカル通称「テニミュ」の沼に転がり落ちてしまい、食費を毎月1万円以下に抑え全財産をテニミュをはじめとする舞台に注ぎ込むというある種の極貧生活をしたりしました。

毎日リアルに前の日買った半額の弁当食べたりもやしだけ食ったりマジで破産するところだった…イケメンの力ってこわい…

東京で友人のハンドメイド活動に感化される

福岡4年目にして、「え、まってわたしいつまで福岡いるの???」と我に返ったわたし。

テニミュや舞台の遠征も毎回東京行くの大変だな~、もうすぐ30歳だし、東京一回くらい住んでみたいと思ってたから行くなら30歳になる前の今だよな~と思っていたところ、ずっと島根にいた仲良しの友達が急に東京に住みだしたため「わたしも行くわ!!」と謎の決断力を発揮し、福岡を引き上げた翌月にはもう東京に住み始めました。

キャリーケース1個持ってもともと東京に住んでた別の友達の家に転がり込み、1週間で家と派遣の仕事を決め、2週間目には自分の契約した家から通勤を始めるというスピード感。ドラマみたい!!

しかもこれも20万くらいで初期費用から引越し代金やら賄ったからめちゃめちゃ費用抑えれた!度重なる引越しのおかげでどんどん引越し上手くなる。

東京に住み始めてしばらくして、当初転がり込ませてもらっていた例の友人が、今度ハンドメイドのイベントがあるから一緒に出ない?といった感じで誘ってくれ、「雑貨屋さん、イイじゃん!!」と急にやる気を出したわたしはヨコハマハンドメイドマルシェというイベントに出展。

合わせてTwitter、WEBショップを開設し、見切り発車のハンドメイド生活が始まったのです…!

「会社勤めしない生き方」を模索中

東京で派遣をしながらハンドメイドをはじめたわたしは、途中でブログで稼ぐ人種がいるということを知りました。

ドロップシッピングは実は一回やったことあったんですけど、なにをどうしたものかこんがらがってしまい挫折しており、アフィリエイトとかネットビジネスとか、ほんとに稼げるのォ~???というみんなが思ってるような事を思っていました。

しかしそこから実際にブロガー、アフィリエイターという人たちのブログ記事やノウハウ記事を読んで、仕組みを理解していくと「これは…あるな!!!」と自分の中で納得できたため、よ~しいっちょやってみっか!!とすぐにブログを作りました。

また、そこまでで転職を10回以上繰り返していたわたし、どの会社に勤めても一生勤めたい会社がない…っていう問題につきあたっておりました。

非正規ながら会社の為と思って頑張っても、仕組みも効率も采配も、現場の事をなんにもわかってない上層部のせいで毎回八方塞がりになるし、なまじ頑張ったせいで自分だけに仕事が集まってしまい、正社員を打診されてもこのまま正社員になっても会社の体質は何も変わらないな…しんどいだけだ…という結論に至ってしまい、結局やめる…という繰り返しです。

うわなんかこの書き方めっちゃ仕事できる人みたいだね!そんなことナイヨ!!

そこで手元のこのハンドメイドとブログをどうにかできれば、会社勤めしなくても生きていけるのでは…となり、どうにかしようとあがいているのが現状でございます!!

あとブログのカスタマイズ楽しいな~と思い、せや!プログラミングとか勉強しよ!と最近プログラミング系のこともやってみたりしてます。

HTML、CSSはそこそこできるようになりまして、JavaScript、PHP、Rubyあたりもう少しがんばりたいな~と思っているところです。

バカ売れハンドメイダーかイラストレーターかブロガーかプログラマーになりた~~~い!!!

二兎どころじゃなく追いすぎでは?という迷いが一瞬生まれそうですが気にしない!!

やってみたいと思うことはひとまず始めてみる!という考えで、やってみま~す。

え、わたしもなにかやりたいんですけど???っていう人がいたら一緒にがんばりましょう。

ウチ、こういうので失敗したから教えてやんよ☆っていう面倒見のいい人がいたら仲良くしてください。

そんなわたし!よろしくお願いしますー!!

チャオ!!!

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